
こんにちは、元介護士で今は専業主婦のうまです。今日は私が23歳の時に発症した「潰瘍性大腸炎」について書いていきたいと思います。
私は19歳の時に介護職を始めて、その後3年ほど経った時に、全大腸炎型の潰瘍性大腸炎と診断されました。
発症時は中等症でしたが、一時期は重症化し、大量の下血による貧血でほぼ寝たきりで、一日に20回以上トイレに駆け込み、体重が10キロほど落ちました。
色々な治療法を試したり、生活習慣を見直すことで、現在はある程度の寛解期を維持できるようになりました。
ただ、仕事などが多忙になって身体的に疲れたり、精神的なストレスを少しでも感じると、一日であっという間に再熱してしまいます…。
今は発症から約10年が経ち、自分なりに潰瘍性大腸炎という病気と向き合い、またはいろんな文献や書籍を読んできて思うことは、「潰瘍性大腸炎が再熱する一番の原因は”ストレス(身体的・精神的)”だった」ということです。
難病指定されている病気なので、基本的に原因は”不明”とされていてますが、主に言われているのが、遺伝的・環境的要因(食べ物・薬品・腸内細菌等)と言われています。
私も発症時は病院の指導のもと食事制限などもやりました。実際に再熱しているときの絶食や食物繊維をとらないや、刺激物を取らないという食事療法は効果がありましたが、症状が再熱する原因は決して食事が原因ではなかったなと今は感じます。
今回は実際に潰瘍性大腸炎を発症したときの状況や、治療の経緯などの体験談をご紹介していきたいと思います。
病名確定の1年半前「最初の違和感」

最初に違和感を感じ始めたのは病気を診断される1年半ほど前に遡ります。なぜ違和感を感じていながら診断されるまでに時間がかかっているのかと言うと、単純に診察の時にお尻を人に見せるのが恥ずかしかったからです^^;
もともと胃腸が弱く、どちらかというと便秘ではなく下痢になりやすい体質だったので、お腹の調子が悪くなることは特に気にすることではなく、ほっとけば自然に治るかなと思っていました。
最初に感じた違和感はこんな感じでした。
病名確定の半年前「流石におかしいと感じる」

上記のような違和感は1年以上感じながらも、もともとの体質もあり特に重大なものとは思いませんでした。
しかし、確定診断を受ける半年くらい前になって、明らかに普通じゃないと感じる症状が出てきました。
流石に普通の調子では過ごせなくなってきましたが、それでも病院にいくのを躊躇していました。
受診しなかった理由としては、
- 便に血が混じるのは”痔”ができたからだと思っていた
- お尻を見られるのが恥ずかしい
- 我慢してれば治ると思っていた
と思っていたからです。今思えば、もっと早くに行ってれば重症化しなくて済んだのかなと後悔しています。
決定的な症状「胃腸科内科を受診」

そして、受診を決意する決定的な出来事が起きました。
ある晩、いつものように夕食を済ませテレビを見ていた時、急激な便意に襲われました。
一分一秒も猶予がないほどの切迫感にトイレに駆け込んだところ、大量の下血をしました。その下血は全く止まらなく水のようにジャージャーと流れ出て、また大量の血と一緒に白っぽい膿のようなものも出てきました。
身体中の血液が全て流れ出ているような感覚と、腸が雑巾絞りされている様な痛みで唸ってうずくまるほどでした。
その晩はそのような症状に何度も襲われ、流石に「これはやばい…」と思い受診を決意しました。
近所の胃腸科内科を受診し、今までの症状を伝え、一番ネックだった内視鏡検査もなんとか受け、病理検査の結果、あっけなく「全大腸炎型の潰瘍性大腸炎」と診断を受けました。
薬が効かない(アサコール・ペンタサ・注腸剤)

潰瘍性大腸炎の代表的な薬としてあげられるのは、あの潰瘍性大腸炎を公表していた元首相の安倍さんが劇的に回復したと言われている薬「アサコール」と、これも一般的な薬の「ペンタサ」です。
どちらも、軽症から中等症の症状によく使われる薬です。
私も最初に受診してから処方されたのが「アサコール」でした。最初は一日の摂取できる最大量を飲んでいましたが、全く効果がありませんでした。
それから、ペンタサや色々な薬を試してみましたが寛解することはできませんでした。
使っていて一番辛かった薬は、直接腸内に薬剤を入れる「ペンタサ注腸薬」でした。

これは毎晩寝る前に横になった状態で、薬の入ったボトルのようなものを直接お尻から腸に入れる薬なんですが、潰瘍だらけで少しの刺激にも敏感になっている腸内に液を入れるので、耐えがたい排便感に襲われます。
でも我慢しないといけないのですごく辛いです…(何本も無駄にしましたが^^;)
しかも薬を奥まで届けないといけないので体をゴロゴロ動かさなくてはいけなくて、痛みと排便感がとても苦痛でした。しかも私には全然効きませんでした。。。
ステロイドだけは断固拒否した

しかしなかなか効く薬と出会えず、症状は日に日に悪化していき、とうとう主治医の先生に「ステロイド」を使いましょうと言われました。
ステロイドに対して、人それぞれ色々な考え方があると思いますが、私は正直ステロイドは使いたくなくて、使うのは最後の手段だと思っていました。
理由は色々ありますが、一番は実際にステロイド治療をした体験者の情報を見て怖くなったからです。その人は「ステロイドを使っている時は良くなっているが、辞めると悪化して症状はさらに悪くなり、結果ステロイドから離脱できなくなった。」という内容でした。
ステロイド治療をする上で、こういう話はよく聞く内容ですが、実際は経験豊富な医師のもと処方を守り、正しくステロイドを使用することで多くの方が寛解されていると思います。
しかし、そこ頃は担当の主治医を信頼し切れていないところがあったので、受診するたびにステロイドを勧められても断固拒否していました。
先生としては早く寛解に持っていきたいに、指示に従わない患者で嫌だったろうなと思います^^;
介護の仕事との両立が難しい「退職を決意」

その後も1年ほど潰瘍性大腸炎の治療をしながら介護の仕事を続けていました。
その頃は、重度障害者の訪問介護をしていて、勤務時間はフルタイムで、夜勤も入っていたので身体的にも結構ハードでした。
仕事中は外出したり、利用者さんと電車で長距離移動もあります。そんな時でも排便感は突発的に来るのですが、仕事中だし周りにトイレが無いことも多かったので、本当に大変でした。
中〜重症時の潰瘍性大腸炎の突発的な排便感は普通の下痢とは違い、潰瘍が刺激されているのでとても切迫していて、一分一秒も我慢できないほどのピークの状態に突然なってしまいます。
利用者さんの自宅にいる時にも、何度もトイレをお借りしないといけなくなり、次第に仕事に行くのも外出するのも怖くなって行きました。
介護の仕事は楽しかったし、やりがいも感じていたのですが、私自身の人に気を使いすぎてしまう性格もあって、次第に介護の仕事を続けていくことが難しいと感じるようになりました。
原因はストレスだった「田舎に帰り寛解」

親のすすめもあり、一度介護の仕事を離れて、田舎に帰ることにしました。
帰省してすぐには症状に変化はなかったのですが、しばらくすると徐々に排便回数や下血の量が減り、初めて寛解に向かっているのを感じました。
今まで薬を飲み続けても全く良くならなかったのに、仕事を辞め田舎に帰りストレスフリーになることで劇的に症状が改善されていきました。
そのことをきっかけに、潰瘍性大腸炎の一番大きな要因は「ストレス」だったこと気づきました。
帰省から半年「ストレスが原因で再熱」

帰省して半年ほど経った頃、潰瘍性大腸炎の症状もほぼ無くなり、完全に寛解状態に入っていました。
そんな頃、義理の姉が第二子を出産するために一ヶ月ほど我が家で生活することになりました。義理の姉や甥っ子とは気心が知れているので、一緒に生活することは特に難しいことではないと思っていました。
しかし、人に気を使ってしまう性格や、いろいろ気にし過ぎてしまう性格により、自分の気づかないところで徐々にストレスが溜まっていき、とうとう潰瘍性大腸炎が再熱してしまいました。
再熱してからすぐに症状が悪化していき、あっという間に重症型へと移行してしまいました。
たった一ヶ月で「全大腸型の重症」

潰瘍性大腸炎の症状は「軽症」と「中等症」と「重症」の3つに分類されますが、私はたった一ヶ月で寛解から一気に重症化してしまいました。
※軽症と重症の間の症状に中等症が入ります。
軽症 | 重症 | |
排便回数 | 4回以下 | 6回以上 |
血便 | 便に少し混じる | 大部分が血液 |
発熱 | なし | 37.5度以上 |
頻脈 | なし | 90/分以上 |
貧血 | なし | あり |
一度再熱してしまってからは、環境が元に戻っても症状は落ち着かず、むしろ日に日に悪くなって行きました。
毎日朝夜かかわらず20回以上トイレに駆け込み、体重がどんどん落ちていき、安静にしていても常時脈拍が1分間で120回程あり、息切れと貧血で寝たきりになってしまいました。
劇的に効いた治療法「L-CAP」

重症化してからは、もちろん一般的な治療薬は効かず、ステロイドも拒否するので、一向に症状は良くなりませんでした。
このような状態でもステロイドを受け入れなかった私に、先生はある治療法を提示してくれました。それが、私を劇的に回復してくれた「L-CAP(白血球除去療法)」という治療法です。
効果 | 自己を攻撃している活性化した白血球を除去することで症状を改善させる。 |
治療法 | 透析と同じシステムで、左右の腕に太めの針を刺し、一方の腕から血液を体の外に出し、白血球のみを除去する特殊なフィルターに血液を通し、もう一方の腕から体内に血液を戻す。 |
治療期間 | 一回90分ほど/一週間に一回/一ヶ月間を1サイクルとして、計3サイクルまで |
治療対象 | 重症から激症の患者 |
保険 | 【重症・難治性】:10回まで保険適用 【激症】:11回まで保険適用 |
副作用 | 頭痛・めまい・寒気など(一過性) |
この治療は一週間に一回のペースを一ヶ月間やって1サイクルになり、全部で3サイクルまで保険適用内で治療することができます。
私は3サイクルやったので治療が終わるまでに約3ヶ月かかりましたが、一回一回の治療の効果が徐々に効いてきて、最終的に最後のサイクルでほぼ症状は寛解することができました。
L-CAPを受ける一回の流れ
- 問診
現在の排便回数や症状などを伝える
- バイタルチェック
始める前に血圧などのバイタルをチェック
- 治療開始
左右の腕に太めの針を刺し、血液を循環させる
- 一時間ほどベットで横になりながら終わりまで待つ
※個人差があると思いますが、この時に寒気と尿意を感じやすいです
※貧血症状がある場合はこの時に鉄分も注入してくれます
- 終了
再熱しないために気をつけている事

L-CAPが奇跡的に自分と合い、あれから7年ほど経ちますが再熱しても重症化することなく、今は過ごすことができています。
どんなに気を付けていても、再熱する時はしてしまいます。仕事も生活も人間関係ありきなので完全にストレスなく過ごすことは難しいと思いますが、自分なりに、何に対してストレスを感じやすいかを知ることが大事だと思います。
自分がどうなったら再熱するのかを理解してきたので、私は以下の事を気をつけるようにしています。
※食べ物に関しては、完全な寛解期には何を食べても問題はなかったですが、少しでも再熱の兆候がある場合や、再熱期には注意が必要です。(刺激物・定残渣など)
今は仕事に関しては、介護の仕事に戻りたいとずっと思っていたので、結婚を機に自由に働ける登録制の訪問介護士をして働いていました。(妊娠を機に休職中)
自分に合っている仕事を探すことが大切だなと感じました、
再熱の兆候を身逃さない
少しでも再熱の兆候を感じたら、生活を見直すようにしています。
まとめ
発症から今までの経過を振り返ってみても、潰瘍性大腸炎になった原因は私はほぼ”ストレス”だったなと思います。
ただ、どんなにストレスを感じても全ての人が潰瘍性大腸炎になるわけではないので、きっかけはストレスかもしれないが、遺伝的な要因も持っていたのだと思います。
ストレスって、自分では全く意識してしていなくても感じていることがあるので、全くストレスなく過ごすことは難しいですが、少しでも環境を変えてみたり、意識を変えてみることで良い方向に持っていけるといいなと思います。
最後まで見てくれてありがとうございました。